昭和41年03月20日 朝の御理解



 宗教の真の目的というのは、人間氏子の真実の助かり、真の幸福をもたらす、又は与えるということだと思うんです。皆さん、この信仰をなさる。だから本当に、本当の意味での幸福を目指しての信心でなからければいけません。皆さん方が、今願いとしておられる願いが、一こと二こと成就したからというて、真の幸福というのが、約束されるわけではありません。けれども、それも大事です。
 いわば目先目先とか申しますが、その目先その現実、直面しておる所の問題、又願っておる所の願いというものが成就していくと。それ牛馬の事に至るまで、もう五穀豊穣の事、牛馬の事に至るまで、神繁盛、健康の事。もう一事が万事に、実意をもって願うていけと、こう仰るのでございますから、願うていかなければなりませんけれども、その事だけに、であったんでは、それはいつまでも真の幸福は恵まれません。
 その御教えの中にございますように、そのようなことをです、実意をもって願えということです。そのようなことを、実意をもって願えということの稽古がです。実意をもって、願うということがおかげなんです。だから実意にならせて頂くということが、おかげなんです。ですから今願っておる。あなたが持っておる問題がです、今金が足りないというなら、金銭のお繰り合せを頂いたと、なるほどそれは有難いことに違いはありませんけれども、使うてしまえばおしまいでしょうが。
 ですから、どうでもその根本のところをですね、一つの願い又目指しとしての信心にならなければなりません。そこで本当の幸福をですね。頂いていきつつある。又、頂いておる人達の話を聞かなければいけません。又それを見せてもらわなければいけません。ということになるわけですね。もう、十四、五年も前のことでございますしたでしょうか。私はある時、神様からこう言う様なお知らせを頂いた。
 皆さんもご承知のように、九州の道の基をとられた、いわば九州の開道の祖といわれたところの、桂先生というお方は、非常に気性の激しいお方であった。非常に信念の強いお方であった。その桂松平先生のことを、神様が評して仰るのはですね。丁度私が御神願になんと申しましょうかね。昔、侠客と申しますかね。遊び手、遊び人ですかね。まぁよい親分の感じなんですよね。ここになんかしらんこう、晒しの帯をして、そういう姿を頂いてから、その腹をこう叩いておられるところの、御心眼を頂いた。
 桂松平に任せておけ。俺の言うことに間違いがあるか。とこう言うて下さるような感じの先生だったらしいですね。ご伝記を拝誦致しましても、お話が残っておるお話を聞かせて頂きましても、やはりそういう方だったらしいです。言うならその太っ腹の方であったということなんです。俺に任せておけ。俺の言う事は間違いなかろうが、というほどに確信しておられる。確信ということは、神様を確信しておられたんです。そこに桂松平先生の真の幸福があったと、私は思うんです。
 次に当時、九州の三松と言われなさるほどに、九州の御比礼がもう、いよいよ輝いたというのは、三松の先生達のお徳によるものだと言われておりました。又、事実そうでしたですね。桂松平先生のお弟子に、石橋松次郎という先生があった。久留米の教会の初代です。この先生が本当になんというですかね。それこそ春の春のうららのような、豊かな心のお方であった。三代金光様が、九州におなりになった時に、桂松平先生が、石橋先生のことをお伺いされたら。
 「久留米の石橋さんこそ、真の人でしょうなあ」と、金光様が仰ったといわれるほどの方だった。これは桂松平先生、あたし共がよく存じあげております。私共が青年時代、久留米におりました。久留米の、私は酒屋の番頭に行っておりましたから、もう当時毎日、日参させて頂いたんです。荘島からくしはらまでですね。ですからようく、なるほどそんな方だった。もう風貌からして、そういうお方であった。もう実に豊かな心の方であった。大空のような方であった。
 はぜもしよんないほどに、豊かな心の美しいお方であった。その石橋先生を評してですね、その当時玉錦という横綱がおりました。もう器量も良かったですがね。もう本当に玉のように色が白くて、こう肥えましてね。お腹が太鼓腹のように、こうしとるんです。その石橋先生を評して神様は、玉錦のようなとこう仰った。玉というのは心に玉が美しいことだろうと思っておる。錦のような方だったという意味だろうと思うておる。同じ腹が太いというても、桂松平先生は自分のどん腹を叩いて、太っ腹な方であった。
 石橋先生は、玉錦のように、腹の綺麗な美しいお方であったと言う訳なんですね。甘木に安武松太郎という、これも桂松平先生のお弟子さんの中に、先生が当時、その桂松平先生、安武松太郎先生は、日本一との高徳の先生だというほどの、お徳を受けられた先生であった。その名残というと失礼ですけれども、桂松平先生のあとの教会が、沢山に教会が出社がございますが、そのもとをなしておる、甘木の教会位にお参りされた方は、ご承知でしょう。それこそいくつもの教会がございます。
 その安武松太郎先生のです。腹が大きい。それはいつも、妊産婦のようなお腹の大きさだったと言われていなさったですね。この先生は。まぁ言うなら、汚い方だったですよ。悪くいうと。もうそれこそ、木の葉一枚でも、ほこ紙一枚でも拾うておし頂く、その精神が素晴らしいです。けれどもある意味では汚い。しみったれたところがあるわけですよね。言うならば。久留米の石橋先生なんかは、お道の教師の名誉にかけても、例えば、汽車は一等に乗れと。
 例えばいつもこうなんとか、山高帽子をかぶっておられた昔の村長さんがかぶっているようなね、あの帽子をかぶっておられた先生ですが、もう帽子を例えば買いにおい出られても、一番上等のを見せて下さい。一番上等のを下さいと、言う様にして買われた。それは自分を飾られるためではない。お道の教師というものは、こんなにしておかねばならんということのために、そのそういう生き方をなさった先生であったですね。
 ところが、安武松太郎先生は、それと反対だった。例えば電車なら電車に乗って、丁度真ん中のところで降りらんにやならんなばですね。少し位遠かったちや、向こうまで行かず、手前から降りていって、歩いていけと言われる様な先生であった。もう下駄でも何丁か行ったら履き替える、じゃないと下駄がもったいなかちや。風呂にでも入ったら、もうしっかりこう絞り切るように、絞ったタオルが粗末になる。早く破れる。それでは天地の親神様に相すまんと言う様なお方であった。
 ですから、本当に天地の御恩徳を悟らせて頂いたら、そう言う事になってくるのかも知れませんですね。ですけれども、それを又信心を抜きにしていこうと、何となしにた先生だなあと言う事になる訳なんですよね。だからどちらがどうと、言う事じやないです。どういう生き方であっても、その精神が素晴らしいから、あぁいう大徳を受けられたんですよ。そして次々とその子供さんができりや、子供さんというか、お弟子さんができられるもんですから、もう誰が何と言おうが、どういう非難があろうがです。
 どんどんとその教会を、あちらこちら作っておいでられた。もう久留米地区であろうが、福岡地区であろうがです。今のようにそのもっとやかましかった時代ですよ。手続きとか、道とかいうのは。それでもさっさとに出された。たとえば柳川という教会に、久留米の出社がありますよね。柳川という小さい町に、一軒の教会があればいいんですよ。それに橋向かいのところに、自分方の教会をポンと出された。
 それはもう晩年のことで、晩年のいうならば、その先生の信心がこう、いわゆる熟しておられるような時代であって、それだった。それが次々とうなされてくるもんだから、それはやっぱり言い訳なされなければ、いかんとですたい。ですから久留米関係とか、福岡関係辺りかは、非常に私共は表面にはなかったけれども、内々では非常に非難の多い先生でしたですね。ですから妊産婦というのは、こんなふうにしてから余り見よいものではありませんですね。
 けれどもそういう意味合いで、太っ腹の大きい方だった。いつも妊娠を続けてござって、いつもお腹の大きいという先生であった。いわゆる三つの先生方のことを一ぺん思うてみて下さい。どの生き方からでいってもです。しかし本当の幸福者であろうと、大徳を身に受けられた先生方は、あれこそ本当の信心の幸せであろうと言う様な、いわば座にいつもおられたということ。
 桂松平先生のその神様を確信して止まぬ、不動の信念。石橋松次郎先生の春の海のような大空のような、素晴らしい多くの心の美しい先生。それを美しいというのは、それとは反対に汚いようではある、ある意味ではほこ紙一枚でも枯れ枝一つでも、天地の親神様のものとして厳しくやかましう、言われた先生。まぁ汚いようにあるけれども、その真意というものが、神様の心につながっておる素晴らしい先生であった。次々とでけるお弟子さんのために人が何と言おうとも、人が助かる場が出来さえすればよい。
 人が何と言ったていい。そこに人の助かる場があれば、いいのだという信念のもとに、どこであろうが、自分の子供さんをさっさと出された。だからまぁ人を称して、それをまぁ強引だとか、汚いとか言う風に申しました。決して決して汚いとか、強引とかいうものじやない。止むに止まれん人が助かりさえすれば、それで良いという、そういう生き方でお徳を受けられた。ですから一寸をそれをみると、丁度妊産婦のそれのように腹の大きい人であったとこういうのです。
 そこで、そこで、そこで大坪先生が今、言いよるのはどういう腹の大きさで、これからおかげを頂いていくか、どういうところにそれを目指してするかと、いうことを下さるんです。そん時に始めて、私の事を大黒様という表現で下さったんです。大黒様もお腹が大きいでしょうが。私以来私のささやかなこういう信心が、少しずつささやかながらも、こう進展していきよる。少しでも育っていきよる。そうなんでございますけれども、私はまぁ言うなら、お金に不自由したことはありません。
 それ以前の私は、もう本当に、これ以上の貧乏があるだろうかと、いう貧乏しましたけれども、神様からこうやって、おかげ頂くようにならせて頂いて、いわゆる駒下駄のものは、当時いつも貯金があったわけではございません。それこそ打出の小槌じやないですけども、必要な金が必要に応じて頂けて参りました。今日まで旨そうなおかげば、いうことはないです。もういうならばその日暮しです。その日暮しでありますけれどもです。その日暮らしではありますけれどもです。
 そのその日暮しが、百円のその日暮らしから、五百円のその日暮し。百円の時代のその日暮らしから、千円のその日暮らしというように、段々その日暮らしの大きゅう豊かになってきた。そしてそれが纏った金である今日まではです。必要に応じて打出の小槌と、的なおかげを私は頂いて参りました。これは皆さんがご承知の通りです。私のこの十五年間のことを見て下さればいいです。これは金だけのことじゃない。もう一事が万事にその打出の小槌から、打ちだされるおかげというものをです。
 私はいよいよそういう大黒様の徳を、私の身にいよいよ頂いていかなければならん。私がその大黒様の徳を受けておると言う事ではない。只今申しました三人の先生方のような、素晴らしい所まで行っていないに致しましてもです。そういう先生があらゆる角度から、その先生方の一つの個性というか、そう言う様な信心を生かして頂いたように。私はそこの所を、いよいよ生かしていかなければならない。そこんところをいよいよ太っ腹というなら、そこんところのお腹の大きい信心に。
 私はならして頂かねばならんと言う事を、私は願いとしております。そこに私の幸福があると、私は確信致しております。そこでです。ただ今私が様々な角度から入っていった、同じ金光教の信心でも、真実の幸福を頂かれたと、言う事のためにです。皆さん。ほんならどう言う様な信心を、一つの基礎としてその信心を育てて行くかと。基礎がなしに私の途中半端なおかげを受けている、姿だけを見てからそれを頂こうと言う事は無理です。その基礎となるもの。どういう信心を頂いてどういう信心を頂いて、どう言う風にそれを育てていくかと言う事なんです。そうでございましょうが。
 昨日、久留米の三橋先生のところの春の霊祭りでございました。まあ先生なりの霊様のお祭りを私が奉仕させて頂いたわけでございますけれども、そのお祭りを済みましてから先生が挨拶をしております。その挨拶の中に、今朝方こういう御神夢を頂いたというお話を挨拶代わりに致しておりました。みんな椛目の方達は、私を始め踊りの稽古をしておった。白扇を持って。それが女の方だと思いよったら、いつのまにかそれが、松本幸四郎になっておられるところであった。
 松本幸四郎という歌舞伎俳優がおりますですね。ときに私は思うたんですけど、いつか。私が三人の先生方のことを、私が今例に申しましたら、そのことをわかって頂きたいと思うて話したんです。九州の三松と言われなさるほどの、九州の金光教の信心の土台を作られた先生方、桂松平先生、石橋松次郎先生、安武松太郎先生、そういう先生方のです。いわゆる流れを汲むところの私であるということ。本当の幸福を私はそこに頂かせてもらう。いうなら四代目ということ。
 幸せの四郎と書いてあるでしょうが。光橋先生が頂いたところの、その踊りの松本幸四郎ということはです。それはそのまま、私のことであったろうとこう思います。私のその幸せをいうならば、桂松平先生が頂かれた幸せ。石橋先生、安武先生が頂かれた真実の幸福。そういうようなものをひっくるめてです。私はそれをすべて一つにして、私は頂きたいという大きな願いを持っております。ですから、私は、私のお話の中にや、石橋先生のお話がありましたり、安武先生の話がある。
 桂松平先生の話は勿論あるんですけれどもです。ただどの先生方の信心でも、それを一つ、私はある時に神様から私の生い立ちの事からずっと、生み立ちじやない。生まれる前の事から私一代の事を物語って頂いた事があるんです。その中に私の父は大坪徳蔵と申します。徳の蔵と書いてある。その徳の蔵からですね。その徳を全てを一つに頂いてです。一つに纏めて大坪総一郎と統べてを一郎と命名したというて、私に命名の由来を聞かせて貰った事がある。ですから信心の上においても私の親である所のです。
 桂松平先生いわばいわゆる三松のと言われた、いわゆる様な先生方の信心の徳を、その徳を蔵から統べて私が持って、この世にでてきてです。それを本当にそれを発揮できれる。私が頂いておると言う訳ではないですよ。それがいよいよ発揮できれるおかげを頂きたいと、私は念願しておると言う事なんです。私が大黒さんの徳を受けておるというのではないですよ。けれどもです。ささやかながらこのまま段々。
 信心が育っていきさえすれば、進めていけば、そういうおかげが受けられるなあと、いう確信を持って育てて頂いておると言う事は、ただ今私が申しますように、その一番大事な所を私がちゃんと握っておると言う事。これを育てていきさえすれば、それが頂けるんだと。それがそのまま九州中の道の発展だけではない。それこそ日本中の金光教の信心の発展の基にも、ならなければならないと言う様な、私は大きな願いを持っておるのです。願いだけは、皆さんどんな大きな願いを持ってもいいです。
 私はいつもそれを思うです。ですから問題は、信心はほんなら一言すればどう言う事かというと、一年一年有難うなってくると仰せられるようにです。有難うならせて頂く稽古ですから、日本一有難い私にならして頂こう。日本一有難い私を目指ませて頂こうという願いなのです。して見るとそれに継ながる所の、皆さんの信心もやはり大きな願いを持つとかにやいけんです。目先目先のその事が成就したからというてです、それが真の幸福と言う事にはならないということ。
 そうしてほんなら例えば昨日、光橋先生がです、そういう踊りを教えて頂いておる。それが、松本幸四郎というを中心に、みんな先生方もこう踊っておるということ。そしてそこに誰かがですね。いわば指導しておる人が言われるのにですね。踊りを踊るのにはね、目ん玉をひっぱらなあいけんと言うて、言われるところであったそうです。そうですよね。もう本当にもう目をつぶっとっちや、いっちょん踊りははれませんもんね。本当にもう、目が生き生きせにやいけんのです。いわゆる眼付けです。
 まわりの目が本当に目は涼しゅうならなければいけません。又は眼付けがようなからにやいけません。目は生きとらなあいけません。目は心の窓といわれております。勿論心のことです。心が生き生きしとらなければならないということです。そして私は思うのです。皆さん踊りの稽古をなさったことがある方はわかるでしょう。まぁ一寸した例えばなら、音頭もんひとつ踊るにもです。なかなか覚えてしまう間は、難しかですもんね。こげなふうにしなんとば反対にこげんしたりですね。
 こっちの足ばあげんならんのに、反対の足ばあげたいうふうで、なかなか難しいです。そしてぎこちなくやっておりますけれども、それが例えばレコードならレコード、三味線なら三味線にだんだん合ってです、踊るようになりましたら、今度反対に手ばあげなさいと言うたら反って難しいでしょうが。どうですか。本当なこと位に反対に踊んなさいというなら、かえって難しい。まぁそういう自分が体得してしもうたらです。
 その一つの踊りを体得してしもうたら、習うた通りに、しかもリズムに乗らなければ踊りにくいようにです、信心も一つの基礎というものを体得したらです。先生の御教えというものを、いわば身に付けてです。生活させて頂いたら、それから外れたら却って生活しにくい。ところがその教祖のみ教えを、自分の行ずるために、一生懸命ならなければ行じられない。というのは、今皆さんが稽古中だからなんですからですよ。それがみんな血になり肉になり、あなた方のものになった時です。
 天地の奏でて下さるところの一つの調子というか、リズムに乗って、日々の生活がです。本当のことを踊らなければです、踊らなければ却って気持ちが悪い。教えを本当に行じておらなければ本当の幸福を感じることがでけない、というところまで私は教えをマスターしなければいけない。皆さんのものにしなければいけないということなんですよ。けれども大したことを皆さん稽古しておられるわけですね。いわゆるぎこちない。いわゆるまだ踊りを一つの踊りを稽古しておる間はです。
 あげんならん方の手は反対の方に上げとる。右を向きやならん時に左に首を向けとる。というようなことでなくてです。それを一ぺんわからして頂いてしまいますとです、いわば違うたものを踊れという方が難しい。本当のことを踊らなければ、いわゆる踊りを踊っても気持ちが良い。もちろん見とっても、見とれるような踊りにやなって参りません。本当のそういう信心生活をでける時です。自分の幸せを感じるようになる。それを見ておる人も、なんと信心させて頂いておる者の生活。
 あり方物の味方、考え方が素晴らしいことであろうかと言う様な、おかげになってこなければいけんのですよ。そういう基礎です、そういう基礎を皆さんが先ず、自分のものにされることを願いとしての信心でなかなければならない。でなかったら、本当の幸福は育たない。私もそこを目指す。私も本当にいわば私のこれが個性が、大黒様的なものを持っておるでしょうから、大黒様のいよいよお徳をです。同じカワノ先生が、同じ腹が大きいというなら、どういうふうに腹が大きいというとです。
 大黒様的なお腹の大きいと神様が評して下さるようなところまで、おかげを頂いていかなあならんとこれ私、自身思うております。皆さんも、例えば信心をなさる。宗教の目指してするところがです。人間の真実の幸福にあるのです。真実の幸福とはと、いうところを追求してです。もちろん日々のことを、おかげを頂いて行きさえすればよいというものじやない。おかげを頂いていかなければならんけれども、真実のあたし共の助かり、というものを頂かせて頂くためにです。
 いよいよ教祖のみ教えが、自分のものに、血に肉にならせて頂くところまで、教祖のみ教えを一ぺん本当にマスターしてしまわなければです、真実の幸福ということにはならないと私は思うのです。そういう幸福を頂かれることを私はお徳とこう思う。お徳を受けなければ、人間の真実の幸せはないといわれております、そのお徳こそが、あの世にも持って行けりや、後にも残しておけれるのでございますから、皆さんが少しばかし残した財産がです、子供のためになり、孫のためになるとでも思うたら大間違いです。
 残したいわば、お御馳走のために、腹痛でも起こすような事がもう、関の山です。ですから、皆さんが持っておられるその財産にです。本当に徳の裏付けというものがです。できなければいけません。天地の親神様のそれにご信用というか、裏ばんで押してなからなければ、その財産は値打ちがないのです。そういうものを残していきたい。そういうものを、又私共はあの世にも持っていきたいと、こう思うのでございます。
   どうぞ。